【出演者】
有田 正広(バロック・フルート)
長島 有紀(バロック・フルート)
及川 れいね(クラヴサン)
【プログラム】
F.クープラン 「諸国の人々」より〈フランス人〉 ホ短調 《Sonade》
J-M.オトテール 2本のフルートのためのトリオソナタ ロ短調 Op.3 No.3
2本のフルートのための組曲 ロ短調 Op.4 No.2
M.ブラヴェ フルートソナタ ロ短調 Op.3 No.2
2本のフルートのための組曲 ホ短調「ブラヴェ氏のPrélude」
「門番」等
C.デュパール フルートと通奏低音のための組曲 イ長調 No.1
N.シェドヴィル フルートのためのソナタ ホ短調 Op.7 No.1
J.デュフリ クラヴサン曲集 第4巻より《La Pothoüin》
第3巻より《Chaconne》
【会場】
東京都世田谷区岡本2-32-15
二子玉川駅、成城学園前駅よりバス約10分+徒歩5分
【チケット】
要予約 / 限定50席
4500円 (全席自由)
【ご予約・お問い合わせ】
kiyumashigana (at) yahoo.co.jp
お名前 & 枚数をご明記の上お申し込み下さい
【後援】
日本チェンバロ協会
写真:及川れいね(左)、有田正広(中)、長島有紀(右)
【出演者プロフィール & 各々のパリへの想い】
★有田 正広 バロック・フルート★
戦後数年後に生まれた、いわゆる「団塊の世代」とか、「老害」と言われる今年、76才の笛吹き。
約15年程前に蓄音機に出会い、以来自ら「蓄音狂」と名乗り、19〜20世紀前半までの名演奏家の音源を愉しみ、人様に弁士としてご披露している。
また料理は常に「冷蔵庫と相談」の、食べられるモノを作り、ただひたすらに食する事に没頭する。。戦後生まれの「餓鬼」の性か。。。。
現在は母校の桐朋学園で、あと数年残された後進の指導を行い、また過去音楽の歴史を掘り起こし研究発表する小さくも、愛おしいグループ「サロン・ダリトウsalon d’Aritau 」を主宰する。
現在、音友からバッハのフルート・ソナタの原典版と、有田の音楽人生を執筆中。
<経歴>
1972年
桐朋学園大学を首席で卒業
第40回NHK・毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)の管弦楽(フルート)部門で第1位と特賞を獲得
1975年
ブリュッセル王立音楽院を首席で卒業
ブルージュ国際音楽コンクールのフラウト・トラヴェルソ部門で第1位(2位、3位なし)
1977年
デン・ハーグ王立音楽院を首席で卒業
帰国後、「18世紀オーケストラ」「イングリッシュ・コンサート」etc...内外の名手たちと共演を行う
1979年
桐朋学園大学古楽科(新設)講師に就任
1988年
東京バッハ・モーツァルト・オーケストラを結成
第21回サントリー音楽賞を授与
2007年
昭和音楽大学のピリオド楽器研究所の所長に就任
2018年
第30回ミュージック・ペンクラブ音楽賞(特別賞)を受賞
2021年
第8回JASRAC音楽文化賞を受賞
〜パリ、彼方の地 有田の巴里の想い出
演奏会や仕事でパリに来るとモンマルトルの丘近くにある「トローゼ通り」の常宿を拠点としていた。
近くには有名な「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」や、アール・ヌーヴォー時代のE.ギマールの作った美しいメトロポリタン入り口のファサードのあるアベス駅近辺の下町散策は僕のファンタジーを大いに刺激してくれる。
また、マレ地区は17〜8世紀の香りが残る。
その美しい通りを散策すると、クープランと出くわすような!何とも音楽的な空気感が堪らない。
そして、今は無い、古きコンセルヴァトワールに通う学生達の喧騒が今も聞こえてきそうな。。何故か緊張して歩いて仕舞うローマ通り…
脚繁く通ったクリニャンクール。其処で小さな骨董屋を営む女主人、ドレル夫人からは何本もの18世紀の名工のフルートを紹介して貰い、今も我が家でバロックの音色を奏でている。
長島有紀さんの仲立ちで、最近何年かぶりに付き合いが再開した、1区に住む「フルート・オタク」のギ・コランとは、かつて美しき良き時代のフルート名工たちのオタク談義が懐かしい。
また、昔のメトロⓂ️はちょっと気取った老婦人や、髭を自慢げにたくわえた紳士達の乗る一等車は気分を盛り上げてくれた。
今のメトロは一等車とかは無くなり、車輪は鉄製から自動車のようなゴムのタイヤに変わり乗り心地は良くなったが、あの美しい雰囲気は完全に過去のもの。
特に車内の手摺りはピカピカに磨き上げられた真鍮製で、狭苦しい車内に、何か優雅さを醸し出していたのだが。。。
最近のパリは街が汚され、治安も悪く空気感も重たく暗く感じて仕舞う。なんとも残念で悲しい。。。
オスマン・セーヌ県知事のパリ大改造計画の後の今現在のパリは、一体何処に向かうのか?
僕のパリの想い出は、見る所全てが絵になるような、あの失われた時代と今を重ねているのかも知れない。。。
★長島 有紀 バロック・フルート★
何の訓練もなしに運動会では毎年リレーの選手に選ばれる、運動神経の良いスポーティな子供だった。
「この子は将来スポーツ選手になるのかしら?」と両親には密かに期待されていたようだが、中学に入学すると周りの意に反して、音楽の道を選んだ。
高校3年生の夏に有田正広氏との出会いがあり、昭和音楽大学に入学。
不器用で下手くそな私は、度々師匠に叱られ、レッスンではよく涙していた。
子供だった当時の私には、先生の意図が全く汲み取れず、長い年月を経た今、師が私に愛情を持って音楽を全力で教えてくれたことをようやく理解する。
同大学を卒業後はオランダに留学し、デン・ハーグ王立音楽院でバルトルド・クイケン氏に師事。
この頃、自分の演奏技術の未熟さは、身体と楽器の不統合さが原因なのではないか?と改善に躍起になっていた。アプローチの仕方は独特かもしれないが、放課後はスパルタ教師の教えるバレエ教室に週5で通い、身体の鍛錬に明け暮れた。
このことは直接的には演奏技術の向上に結びつきはしなかったが、筋、⾻、関節の働きに着⽬し、⾝体機能との関連を研究する"機能解剖学" を学び始めるきっかけに繋がる。
現在は、ピラティスのインストラクターとしても活動をし、現代人の悩める不良姿勢の改善に取り組む。また演奏時における身体の使い方の向上を目指し探究を行なっている。
J'♡ Paris 〜パリに恋して 長島の巴里の想い出
大学1年生で初めてパリを訪れた際の衝撃は忘れられない。
街のあらゆる建造物が美しく、朝食のクロワッサンの美味しさに驚愕し、臭くて不気味なメトロの通路を歩けば、ミュージシャン達の生気のある音楽が鳴り響き、車内ではスリに合わないように鞄を抱きしめて、店では美形なパリジャンに塩応対される...
たった1週間の滞在だったが、日本とまるで異なる文化をこれでもかと見せつけられて酷いショックを受けた。決して良い思い出ばかりではないのに、日本に戻ってからもパリでの日々が忘れられない、程なくして恋に落ちてしまったことに気づく。
その日から「いつか私はパリに住む!」と決意をするが、残念ながら未だその機会には恵まれていない...
世界中の人々を虜にする魅惑の街、パリ。
今から約300年前、18世紀のパリは一体どんな街だったのだろう?
★及川 れいね クラヴサン★
フェリス女学院大学音楽学部ピアノ科卒業。
桐朋学園大学古楽器科研究生、サンモール音楽院、パリ市立音楽院でチェンバロ(クラヴサン)を学ぶ。
渡邊順生、リシャール・シーゲル、ノエル・スピート、ピエール・アンタイの各氏に師事。
Une petite surprise 〜毎日がサプライズ 及川の巴里の想い出
有田先生と同じく「団塊の世代」で東大闘争をしていた父と、当時日本では珍しいチェンバロ(クラヴサン)を学びたかった母は共にフランスに渡り、その後産まれた私は「Reine(女王)」というキラキラネームを付けられました。
両親のフランスかぶれをしっかり受け継いだ私はパリへ留学。
16区の端っこ、ブーローニュの森の近くのアパルトマンに住み、パリ中心部にある学校まで毎日メトロで通いました。
ある日、通学中にいつものように本を読んでいると、乗り合わせた乗客から1枚の小さな紙を渡されました。
それは、本に目を落とす私のスケッチでした。
驚く私にニコニコと手を振りながら、その人は乗り換え駅で降りていきました。彼は画材やイーゼルを抱えていたので、多分モンマルトルの丘で似顔絵を描く仕事をする絵描きさんなのでしょう。
パリのメトロで漢字の本を読むアジア人の若い(当時)女の子は、デッサンの題材として面白かったのかも知れません。
パリの人は「粋」なことが好きで、ちょっとしたサプライズをこよなく愛します。
そこには「相手を喜ばせたい」という気持ちが含まれていて、サプライズする方も、される方も笑顔になります。
それから時は流れ、今年から通い始めたピラティススタジオで、トラヴェルソ奏者とプロインストラクターの二刀流でご活躍の長島さんと偶然出会いました。
そして長島さんのご紹介で桐朋時代の恩師である有田先生と再会させていただき、なんとこの度共演するという幸運に恵まれました。
思い出深いフランスの音楽を、素晴らしいお二方と共にお届けできることを心から幸せに思います。
サプライズな毎日は今も続いています。