2009年5月10日日曜日

チョコレートのお話の続き…

だいぶ前の記事にチョコレートのお話をしようとして、だけどその後どんな話をしようとしたのか思い出せなくてそのままになっていました。
友人の皆さんに会うたびに「チョコレートの話は?」と訊かれ、だいぶ弱っていましたっけ・・・
今日もその話を思い出したわけではないのですが(!)、続けましょう!

私はチョコレートが好き。毎日食べます。
眺めるのも、ひょいと指でつまむのも、かじるのも、匂いをかぐのも大好き。
でも食べ始めたらなくなるまで止められないので、触るとか撫でるくらいのレベルでとどまっておかなければ後が大変です!
目の前のチョコレートは全てなくなり、周りの人たちから「チョコレートしばらく禁止命令」が出されてしまう…
でもそんな偉大なチョコレートの与えてくれる幸せにも勝る喜びを感じる瞬間が人生のには多々あります。
①素晴らしい仲間と演奏をしているとき
②バレエのバーレッスン
③恋に燃え上がっているとき(笑)
など、ほかにも数えればきりがありません!
特に①②③のこの瞬間はチョコレートだけではなく、他は何も要らない!という状態になってしまう。自分は最高に幸せだって思う。

生きていると喜びの瞬間ってたくさんあります。
もちろん、それに比例するように悲しみのときも胸が張り裂けそうなときも多くあるけれど。そんなときは逆に、自分って何て惨めで不幸なんだろうと思う。

ある友人がこんなことを話してくれた。
「人間は長く生きられるかどうかで、幸せかどうかが決まるものじゃ決してない。例え明日私が死んでも(まだ若いけど)今が幸せだからいいの。私は幸せな人生を送ったの。」
これはすごく私の心に響きました。涙が出ました。

私は一昨年前に他界した祖父を思い出します。
亡くなったとき、私はオランダに居たので家族は気を使って、すぐには私に知らせてくれなかった。ちょうど演奏会を間近に控えていたから。
お葬式が終わってから、ようやく私に伝えてくれた。
大好きな祖父の死は私にとってものすごく痛かった。祖父は私を目の中に入れても痛くないほどに可愛がってくれていた。

でも、この友人の言葉によって私の中で何かが変わったなぁ。
祖父は彼の人生を最大限に精一杯生きたのだから、私が彼の死を痛む必要は何もない。
彼がもう私達と同じ空間にいないことは、残されたものにとっては寂しいけれど。

頑固者で曲がったことの大嫌いな、大将のような祖父だった。いつも自分に厳しく、他人には優しかった。何者をも恐れず、ひたすらまっすぐに自分の心に正直に突き進むその姿勢は立派でした。

私も日々精一杯生きようと思います。

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